奈良県桜井市の宿大正楼

箸墓古墳

箸墓古墳の謎

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奈良県桜井市箸中にある箸墓古墳をご案内致します。

箸墓古墳は女王卑弥呼の墓ではないかと云われています。
調査や発掘が繰り返される中、未だに確たる証拠はなく、宮内庁は箸墓古墳の被葬者を倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)としています。 歴史ミステリーの題材として人気の箸墓古墳は今もなお健在です。

箸墓古墳 卑弥呼の墓 倭迹迹日百襲姫命の墓

前方後円墳の箸墓古墳と背後に見える三輪山。

箸墓古墳は、別名を「箸中山古墳」ともいいます。
3世紀半ば過ぎの前方後円墳です。女王卑弥呼の没年は247~248年頃と云われていますから、整合性はありますよね。 邪馬台国畿内説が有力視されるのも頷けます。

箸墓古墳と三輪山の関係

伝説に見る箸墓古墳の名前の由来

箸墓古墳の命名由来には、とある悲しいお話が残されています。

「日本書記」崇神天皇十年の条に、有名な箸墓伝説が記されています。
倭迹迹日百襲姫命が大物主神の妻となりました。ところが、夫の大物主神は昼には見えず、夜にのみ妻の元へ通いました。 夫の姿を見てみたいと言う妻に対して、夫は、明朝に櫛箱の中を開けてごらんと答えます。しかし、私の姿を見ても決して驚いてはいけないよと念を押しました。

明くる朝、妻は大物主神の正体が蛇であることを知って驚くことになります。悔いた妻は、箸を陰部に突き刺して死んだ・・・という箸墓伝説です。 三輪山を御神体とする大神神社には、大物主命が祀られていることを再確認致します。

三輪山と纒向遺跡に囲まれる箸墓古墳

箸墓古墳の背後には神の山「三輪山」が見えます。
箸墓伝説は、なにやら古事記の三輪山伝説と重なるところがあります。同じような神婚譚が今に伝えられているのです。

奈良から桜井へと続く国道169号線を挟んで、箸墓古墳の北西方向に纒向石塚古墳があります。人工的な都市機能を持っていたとされる 纒向古墳群の一角です。4世紀の半ば頃に忽然と姿を消した都市とされ、都市機能を有する当時の日本の中心地であったことは間違いない史実のようです。

当館大正楼から箸墓古墳へは徒歩10分余りでアクセスすることができます。 お車でも国道169号線を北へ数分の場所にあります。箸墓古墳の前には、小さいながらも駐車場が無料開放されています。

桜井市立大三輪中学校の正門前を通って、卑弥呼伝説が色濃く残る箸墓古墳を徒歩で訪れてみませんか?古代史への扉が忽然と開かれることでしょう。

箸墓古墳の立ち入り調査 陵墓の歴史的瞬間をレポート。